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■狂った雪・番外編■

 

 

 




             

第7話「めぐる想い」







  そう…あの時…

  私は…あなたと共にいた…










  強い子…

  美汐はその言葉を心の中で噛み締める。

  そして、ゆっくりと記憶を辿った。

  すぐに遠い記憶が鮮明に蘇る。












  季節は秋。

  他に誰もいなくなった夕暮れの公園。

  周囲の木は真っ赤に紅葉している。

  そこで少女は少年と出会った。



…きこ…きこ…

  少年はただ一人、ブランコに乗り佇んでいる。

  見るからに寂しそうで、その視線は遠くの丘を見つめていた。


…とぼ…とぼ…

  やがて、公園に一人の少女がやって来た。

  不安そうな顔を浮かべ、辺りを見まわしている。

  だが、その少年を見ると、少女は恐る恐る近づいていく。

  そして、すぐ後まで行くと、そっと立ち止まる。

  ブランコに乗る一人ぼっちの少年。

…おかあさんが迎えに来るのを待ってるのかな?

  彼女はそんな事を考えながら不思議そうに少年の姿を眺めていた。

  まるでそれが目的であったように。  

  あたりは次第に夕闇に包まれはじめた。

  だが、少年は誰が迎えに来るわけでもなく、どこへ帰るわけでもなく、ただブランコを
こぎ続ける。

…きこ…きこ…

…かしゃん…

「…?」  

「ねぇ…?一人で何してるの?」

「………」

「迷子?」

  少女はブランコの鎖を掴むと、少年の視線に入った。

  どうしても、放っておけなかった。

「………」

  だが、少年は何も言わない。

「何とか言ってよ?喋れないの?」

  少女は少年に顔を近づけ、再び話しかける。

「……お前とは話したくない…」

  すると、しぶしぶ少年は口を開く。

「何だ喋れるじゃない。でも…どうして私と話したくないの?」

「…ほっといてくれ…」

  少女より年下に見える少年は頬を膨らませながら拗ねた。

  少女は思わず笑みを浮かべる。

「うにゅう…えいっ!」

  そして、その小さな手を少年の頬に当てた。

  口に溜まっている空気がゆっくりと漏れていく。

「…何するんだよぉ!」

  少年は堪らず叫んだ。

「にゃは、面白そうだったから」

「うぅ…お返ししてやるぅ!」

「にゃは、嫌だよ〜。お返ししたかったら捕まえてよね」

  少女は長い髪を靡かせながら、走り出す。

「…うぅ…捕まえてやるぅ…」

  少年もすぐに少女の後を追い始めた。

…べちゃ…

  しかし、数歩も走らないうちに、その場に転んだ。

「…くぅぅ…」

「にゃはは、転んでる〜」

「くぅ…笑うなぁ」

「じゃあ、早く捕まえてよね」

  その一言で、即席の鬼ごっこは幕を開けた。

  既にあたりは完全に闇に包まれ、街燈の灯りだけが二人を照らしている。

  だが、二人はそんな事は全く気にせず走り回った。

  風は冷たかったが、今の少女にはそれすら心地よく感じていた。

  少年も無我夢中に少女を追いまわす。


  しかし、颯爽と逃げる少女の頭の中に一つの疑問が巻き起こった。

…あれ?…そうだ、わたし…どうしてここに来たのかな…?

………

  だが、答えは出てこない。

…まぁ、いっか…楽しいし…

  そして、少女は吹き抜ける風と共に、その疑問を打ち消した。

  

「…はぁ…はぁ…」

  結局、その戦いは少女の一方的な勝利に終わった。

  まだ、物足りなそうな少女と、疲れ切りうずくまる少年。

  対照的な構図だった。

「にゃは、結局捕まえられなかったね」

「うるさいぃ…調子が悪かっただけだ…」

  笑う少女に、顔を顰め少年は強がる。

「じゃあ、明日は捕まえてよね?」

「…どうしてそうなる?」

「だって、私を捕まえられなかった」

「……くぅ…」

  少年は何も言い返せなかった。



  その日を境に、少年と少女の鬼ごっこの毎日が始まった。

  しかも、数日後には舞台は公園から少女の家に移る。

「…美汐ぉ…覚悟」

「にゃはは、まだまだぁ」

「ほらほら、二人とも食事中くらい静かにしなさい」

「…くぅぅ…ごめんなさい…」

「は〜い」

  二人の対決は至るところで行われた。

  少女の部屋、両親の寝室、風呂場、キッチン、トイレ、庭…

  どこも二人にとっては鬼ごっこの舞台でしかなかった。



「…くぅ…今日こそ…美汐が寝てるうちに……」
  
  夜も、少年は少女が寝るまで隙を窺っている。

「…はやく…ねない…かな………くー……」

  だが、睡魔には勝てず少年は毎晩のように部屋の脇で寝込んでいた。

「…全く…世話が焼けるなぁ…」

  少女はそれを見て、少年を抱え部屋まで運ぶ。

  だが、違和感はなかった。

  初めて見た時から、どうしても放っておけない男の子。

  その子が今では、この家にいる。

  少女はそれが嬉しかった。

  屈折しているものの、充実した日々。

  妹弟のいなかった少女にとっては夢にまで見た生活でもあった。

  少年を布団に寝かせながら少女は心の中で呟く。


…いつまでも…この日が続きますように…



  だが、そんな少女の願いも長くは続かなかった。

  終焉に向けた予兆はゆっくりと、そして、確実に二人を引き裂き始める。


  冬の足音が聞こえはじめたある日。

  少年は突如、歩く事が出来なくなった。

  最初はただの怪我か病気だと少女は思っていた。

「…早く良くなるといいね…」

  布団に入りながら虚ろな瞳で天井を見上げている少年に、少女は優しく声をかける。

「…うん…早く良くなって美汐を捕まえないと…」

「…にゃは…その意気だよ」

  しかし、現実は厳しかった。

  少年は日に日に衰え始める。

  まるで、全ての力を失って行くように。

  いつしか、体は満足に動かなくなり、話すことすら覚束なくなっていた。

  それでも、少女は祈るように必死に看病を続ける。

「……み…しお…」

「だいじょうぶ…だいじょうぶ…きっと良くなるから…」

  少女はただひたすら少年を励ました。

  だが、この頃、少女自体が風邪をひいてしまい、病人が病人を看ている状態だった。

  脂汗を流しながら、少年の顔の汗を拭う少女。

  両親に諭されても、決してこの場を動く事はなかった。



  外は雪が降り始めている。

「…今日は雪か…どうりで寒いわけだね…」

「………」

「ごほっ…早く良くなって…一緒に雪合戦しようね…」

「………」

  少年はゆっくりと頷く。

  だが、それすら痛々しかった。

「早く良くなって欲しいな……ごほっ…ごほっ…」

  咳は辛かったが、決して苦しい表情を見せる事なく、少女は少年に笑いかける。

  しかし、少年は不安そうな顔で少女を見上げた。

「…にゃは、だいじょうぶ…。わたしは強い子だから、この位なんでもないよ…」

  少女は少年の頭を撫でながら、優しく声をかけた。

「…みし…お……つよいこ…?」

「そうだよ、だから早く良くなって私と遊んでね…」

  切実な思いだった。

「……う……ん……」

  少年は瞳に涙を浮かべていた。

  少女も思わずつられそうになったが、必死に堪える。

「…良くなるまで…わたし…絶対…傍を離れないからね…」

  少女は何度も何度も少年の頭を撫でながら、そう繰り返した。

  そして、度重なる両親の制止を振り切り、一晩中少年を見守り続ける。

…ごほっ……げほっ…

  咳は依然止まらなかったが、そんな事はどうでもよかった。

  ただ、少年の手を握りながら、元に戻る事を祈っている。




  だが、その思いも虚しく、とうとう少年は完全に言葉まで失ってしまう。

  そして、不意に高熱が少年を襲った。

  表情すら失われた顔で、ただ魘されている。

「………」

  少女の目から見ても、少年の命の火が消えかかっている事は明らかだった。

「……っ…」

  少女はいても立ってもいられなくなった。

  そして、その思いを少年に吐き出す。

「…雪合戦…しよっ…」

  このまま、ただ少年と別れてしまうのが辛かった。

  少女は、少年を優しく布団から起こす。

  少年も嫌がる素振りは見せなかった。

  そして、彼女は少年に服を着せると、彼を背負い家を出る。  

  向かった場所は、あの公園だった。




  だが、その道程で少女は思い出した。

  なぜ、あの時、公園に足を運んだのかを。


「…起きてる…?」

  少女は背中の少年の顔を見た。

  少年はうっすらと目を開く。

「よかった…。わたしね…思い出したんだ…。あの時…どうして公園に行ったのかを…」

  少女は幼い頃の記憶を少年に語りはじめた。

  それは悲しい記憶。

「わたしね…もっと子供の頃にね…狐さんを飼ってたの…」

「あの子とわたし…とっても仲が良かったんだよ…。今のわたしたちみたいに…」

  少年はじっと少女の言葉に耳を傾けている。

「それでね…あの公園はわたしたちの遊び場所だったんだよ…」

「そして…おかあさんのお腹にいた妹弟と三人で遊ぶ場所になるはずだったの…」

  少女は悲しそうに笑った。

「…でもね…、それはダメだったんだ…」

  しかし、すぐにその笑みは崩れて行く。

「ある日、近所の人たちがうちに来たの…。悪い狐を出せって…」

「あの子…なんにも悪くなかったのに…おかしいよね…」

「おとうさんとおかあさんはかばってくれたけど…誰も信じてくれなかった…」

  少女の瞳は既に涙でいっぱいだった。

  それでも、鼻をすすりながら話つづける。

「それで…近所の人たちはうちの中に乗り込んで来たの…」

「おとうさんの大声と、おかあさんの泣き声が聞こえてた…」

「わたしはあの子を抱いて押入れに隠れてたの…。それから…しばらく物音が聞こえてたけど、
わたしたちは見つからなかった…」

「でも…押入れを出て、玄関に行くと…おかあさんが倒れてた…。おとうさんも顔から血を
流して、おかあさんの頭を撫でてた…」

「ショックだった…わたしはいつの間にか走ってたの…。あの子を抱きながら…」

「どこをどう走ったかは覚えてないけど、気がつたら…公園のそばの丘の上にいたの…」

「そして…あの子を地面に置いて…わたしは逃げたの…」

  少女の顔がいっそう悲しみを帯びる。

「…あの子が悪くないってのは…わかってた…。でも…おかあさんとおとうさんが…
これ以上…つらい思いをするのは見たくなかった……でもね…あの子を置いていった
罰が当っちゃったの…。……妹弟は生まれてこなかったから…」

  少女は自らを責めるように声を絞り出す。

  そして、立ち止まると、止めど無く涙を流し続けた。

「…うぐっ…ぐぅ……。どうして忘れてたの…あの子のこと…ぐすっ…」

  少年に聞かせていたことも忘れ、少女は大声で泣いた。

「………」

  だが、その時、少女の頬に何かが当たった。

  少女はそれに目をやる。

「…う…そ…?」

  そして、驚いた。

  少年は手を伸ばし、少女の涙を拭いていたのだ。

  だが、すぐに力尽き、その手はだらりと垂れ下がる。

「………ゴメンね…」

  少女は泣くのを止め、必死に笑った。

  少年の限界を超えた慰めが心を打つ。

「…もうすぐ着くからね…」

  そうして、少女は再び自らを取り戻すと涙を拭いながら先を急ぎはじめた。



  やがて、二人は公園に辿り着いた。

  初めて二人が出会った場所。

  今では、あの時の真っ赤に紅葉した樹木も全て白一色に覆われていた。

  ブランコも雪に埋もれている。

「…はぁ…はぁ…。着いたよ…」

  少女は少年をベンチに座らせると、手近な場所の雪を掬い丸めはじめた。

  そして、二つの雪玉を作ると、一つを少年に持たせる。

  少年は嫌がる素振りも見せず、素直に雪玉を手の上に乗せた。

「…じゃあ…わたしの真似してみてね…」

  少女は少年によく見えるように雪玉を遠くに投げる。

  少年はただ、それを見ていた。

「さぁ…やってみて」

  少年は手の平の上に乗っていた雪玉を持ち上げようとするが、それは、そのまま地面に
転がる。

「にゃは…難しいかな…。…じゃあ、わたしが手伝ってあげるね…」

  少女はそう言うと、雪玉を拾い直し、再び少年の手に乗せる。

  そして、腕を優しく掴むとそっと振り上げた。

  雪玉が少年の手を離れ、頼りない起動を描きながら飛ぶ。

「…投げられた…投げられたよ…」

  少女はそれを見て、自らのことのように喜んだ。

  少年も少しだけ満足した顔を浮かべた気がする。

「………」

  そして、少女は少年に体を寄せると、そっと抱き寄せた。

  少年もゆっくりと少女にもたれかかる。

「…楽しかったね…」

  少女は呟くように言った。

  本心だった。

  すると、少年は小さく口を開く。

「………ぅ…」

  声にはならなかったが、唇はしっかりとその意思を伝えた。

…うん…

  しかし、その直後、少年はゆっくりと目を閉じる。

  それは全ての終わりを意味していた。

「……う…うそ……うそ………」

  少女は少年の体を揺する。

  だが、反応が返ってくる事はなかった。

「…せっかく……弟が出来たと思ったのに……」

  少女は何度も少年を揺すり続けた。

  やがて、少女の瞳からは大粒の涙が零れはじめる。



…わたしは…つかの間の奇跡の中にいました…

…それは…かけがえのない…至福の日々…でした…



…でも…結局…私はあの子に何もしてあげられなかった…

…一度ならず…二度までも…




  そして、その日を境に少女は笑わなくなった。

  幼い頃より伸ばし続けた髪も短く切り、今までの自分を全て否定するように寡黙に悲しみの
日々を送りはじめた。


…二度の惜別……そして……後悔……

………虚無……虚空………

  彼女は心の中で泣き続けた。






  全てを思い起こし、美汐は小さく呟く。

…私は強くないよ…強くないんだよ…

だって…あの別れを経て…こんなに変わってしまったんだから…




  だが、彼は言った。

…そんなことはないよ…ボクは忘れない…

美汐の…あの強さを…

それに、あの時…何も出来なかったのは…ボクの方だよ…

だから…今こそ…恩返しがしたいんだ…



……え……?

  その言葉に美汐は我に返った。

  目の前には相変わらず陰気な空間が広がっている。

  だが、その時、何かが走った気がした。

  そして、彼女は目の前の光景に目を丸くする。

「…う…嘘っ…??」

  突如、部屋の隅に横たわっていた真琴が動きはじめたのだ。

  まるで、糸にでも吊られているように不自然に立ち上がる。

「何!?こいつ、まだ動けるのか??」

「ひぃ!?」

  男たちは、目の前で起きはじめた異常事態に混乱していた。

  だが、それも束の間、真琴を中心に部屋が崩れはじめる。

  いや、その建物自体の崩壊であった。

  崩れる天井、裂ける床。

「ひぃぃぃ!!」

「がぁ…」

「うぅ…ぁ…」

  男たちに為す術はなかった。

  断末魔を上げながら、その建物と運命を共にしていく。

「………」

  しかし、真琴と美汐だけは難を逃れた。

  まるで目の前の出来事が映像であるかのように。

  そして、建物全体が瓦礫の山と化した時、二人はその上にいた。

「…ど、どうして」

  美汐はあたりを見まわしながら呟く。

「恩返しがしたかった…それだけ…」

  美汐の横で真琴がそう言った。

  だが、声こそ真琴だったが、それが彼女ではないと言うのは、美汐にはわかっていた。

「…それは…私の台詞…」

  そして、小さくそう呟く。

  体は無意識に震えていた。

  再会出来た喜びと、自らに対する嫌悪の念。

  美汐は顔を伏せた。

  だが、美汐の頬に真琴の手が触れる。

「…え…?」

「自分を責めちゃだめだよ…」

「だって…」

「美汐には感謝している…最初は憎しみ…いや…悲しみがボクを覆っていたけど…今考えれば…
ボクは幸せだったと思う…」

「………」

「だって…美汐は最後までボクの傍にいてくれたから…」

「…ぐすっ…」

  美汐は涙が止まらなかった。

「美汐…ボクに残された時間は…もうないけど…最後に約束して…」

「…約束…?」

「これからも、強く生きてくれるって…」

  真琴は真っ直ぐ美汐を見た。

  その目に、少年の瞳が重なる。

  美汐も真琴を見据えた。

「…うん…約束する…」

  美汐は自らの心に言い聞かせながら、言葉を刻む。

「…ありがとう…これで安心して消えられる…」

  真琴はそう言うと、笑った。

  一点の曇りも無い笑顔だった。

「………」

  美汐は無意識に、真琴を抱いていた。

「…美汐…」

「少しだけ…このままでいさせて…」

「…うん」

  月明かりに照らされながら、二人は体を重ね続ける。

  何も身に纏ってはいなかったが、そんなことはどうでもよかった。

「…じゃあ…そろそろボクは行かなきゃ…」

  やがて、真琴は静かに呟く。

  美汐は躊躇いを振り切るように、彼女から離れた。

「うん…元気でね…」

  そして、そう言うと再び真琴に顔を寄せ、美汐は頬に唇を当てる。

「…美汐…」

「…忘れない…。絶対に忘れないから…」

  美汐は涙声で何度も呟いた。

「…うん…ボクもいつまでも美汐の事は忘れないよ………さようなら…」

  そう呟くと、真琴は糸が切れたように美汐の胸に倒れ込む。

「さよなら…」

  美汐は目を閉じた。

  そして、元の意識の無い真琴をただ抱きしめ続ける。

  彼女たちがサイレンや喧騒に包まれるまで。






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