第1章 今年も雪の季節がやってきた。 私にとってはとても辛い季節…。 あの人を見ると余計にそう思ってしまう。 でも、あの人の目に私は映らない。 映っているのは、一人の女の子だけ…。 「うにゅ…おはようございます…」 水瀬名雪は独り言のように呟くと、眠い目を擦りながらリビングに入ってきた。 テーブルにはいつものようにコーヒーとトーストが湯気を立てて置いてある。 名雪はよろけるようにテーブルにつくと、おぼろげな手つきで中央に置いてある ジャムの瓶に手を伸ばした。 「おはよう、名雪」 キッチンから母親の秋子が顔を覗かせる。 「あ…おかあさん…おはようございます…」 ジャムの瓶の蓋を回しながら名雪は笑顔で挨拶をした。 「今日は案外、早かったわね」 「うぅ…案外って…」 「いつもはまだ布団の中でしょ?」 秋子は茶目っ気たっぷりに笑った。 「そうだ…祐一は?」 名雪はトーストに真っ赤なジャムを塗り終えると、思い出したように、この家に 居候になっているイトコの名前を口にする。 「…もう、とっくに学校に行きましたよ」 秋子は少しだけ複雑な顔を浮かべ、目を閉じるとそう答えた。 「…そっか…」 名雪はその台詞を聞くと、そのまま何事も無かったかのようにトーストをかじる。 あの日以来、毎朝のように交わされる同じ会話。 そう、祐一があゆと言う少女と再会を果たした日から。 「行って来ます」 名雪は靴を履き終えると、いつものように玄関まで見送りに来てくれた秋子に声をかけた。 「行ってらっしゃい、気をつけてね」 秋子も優しく名雪を見送る。 そして、名雪は玄関の扉を開けると、外に足を踏み出す。 今日も一段と寒い日だった。 「…あ…雪だ…」 空からは粉のように細かい雪が舞い降りている。 初雪ではなかったが、このくらいまとまって降るのは、この時期になって初めてだった。 (…また…来ちゃったね…) 名雪はふと、そう思いながら学校への道を走りはじめる。 比較的、早く家を出たと言っても、歩いていくには十分に遅い時間だった。 それでも、名雪にとって走る事は苦ではなかったので、時間的な焦りは微塵も無い。 しかし、降りはじめた雪が彼女に心の痛みとも言える感覚を与えていた。 思い出したくない季節…。 そして、思い出して欲しかった季節…。 だが、名雪はそれを掻き消すように走る速度を上げる。 学校に辿り着いた時には、予鈴までにはかなりの余裕があった。 「おはよう、名雪。今日も朝から元気ね…」 そんな名雪に背後から声をかける人物がいた。 美坂香里。名雪の一番の親友である。 「…あ、香里…おはよう。でも、別に元気じゃないよ?」 「そうかしら?どう見ても元気そのものよ?」 「うぅ…誤解だよぉ」 「まぁ、そう言うことにしておくわ」 ありきたりな会話を交わし、二人は教室へ向った。 教室に入ると既に大半の生徒が登校しており、あちらこちらから雑談に華を咲かせる事が 聞こえてくる。 名雪と香里は目があった何人かの友人と挨拶を交わすと、自分たちの席に向かった。 「祐一、おはよう」 「おはよう、相沢君」 そして、その隣の席で眠そうに肘をついていた祐一に二人は声をかける。 「おう」 いつも通り、覇気のある素朴な返事をする祐一。 「眠そうだね?」 名雪は少し心配そうに祐一の顔を見た。 「お前ほどじゃないぞ」 「うーん…ひどい事を言われてるような気がする…」 「悪い、その通りだ」 「うー」 これもいつもの光景だった。 表面上は。 「昨日も帰ってくるの遅かったみたいだけど…?」 しかし、さりげなく名雪は本題に入った。 祐一は少し眉をしかめる。 「…あぁ、日付は変わってたかな」 「そう…。今日も行くの?」 「もちろんだ」 祐一は何の躊躇もなく答えた。 彼は日課のように、あゆと言う少女の家に通っている。 彼女が病院を出て一人暮しをはじめてからずっとそうだった。 「…そう…。だけど…」 名雪がそこまで言いかけた時に予鈴のベルが響き渡る。 蜘蛛の子を散らしたように席につく生徒たち。 名雪もやむを得ず話を中断し、席についた。 すぐに教室のドアが開き、担任の教師が入ってくると、ホームルームがはじまる。 名雪は少しだけ残念そうに前を見ていた。 (…たまには…家にいて欲しいな…) 言いかけた台詞を胸の中で呟きながら。 放課後。 名雪は教科書を鞄に詰めると席を立った。 そして、横目で隣の席を見る。 既に祐一は足早に教室から姿を消していた。 「………」 結局、言いたかったことは何一つ言えなかった。 思わず塞ぎ込んでしまいたくなったが、計ったようなタイミングで後から声がかかる。 「名雪、行くわよ?」 「うん」 香里に促され、名雪も教室を後にした。 そして、足早に玄関に向かう。 名雪も香里も既に部活は引退しているので、ただ帰るだけだった。 進路相談等の面談はたまにあったが、今日はこれと言って何もない。 玄関に辿り着くと、既に大勢の生徒たちでごった返していた。 二人は人並みを掻き分けると、各々の下駄箱に上履きを入れ、革靴に履き変える。 そして、再び合流すると二人は並んで外に出た。 朝から降っていた雪は既に上がり、地面は何事もなかったように乾き切っている。 「よかった。すっかり晴れてる」 「…そうね」 二人は歩きながらそう呟いた。 そして、校門を抜け、いつもなら別れる場所に差し掛かった時、香里が立ち止まった。 「そうだ、名雪…今日はうちに寄っていかない?」 香里は少し深刻な面持ちで名雪に問い掛ける。 「ホント?、うんっ、お邪魔するよ」 その表情が少し気になったが、名雪は嬉しそうに微笑むと二つ返事で了解した。 なぜなら、名雪は今年に入って一度も香里の家には行っていないのだ。 何度か名雪の方から、そんな話をしたこともあったが、その度に香里はお茶を濁したため、 いつしか、彼女の家に行くと言う話は避けるようになっていた。 それが香里の方から誘ってくれている。 名雪は本当に嬉しかった。 「じゃあ、決まりね」 「うんっ」 そして、二人は同じ方向に歩きはじめる。 途中、コンビニで菓子などを調達し、程なく香里の家に辿り着いた。 名雪にとっては実に久しぶりの景色である。 「うわっ、変わってないね」 そして、香里の家を上から下まで眺めると、名雪は意味もなく驚いてみせた。 「…当たり前じゃない、来る度に変わっていたら気持ち悪いでしょ?」 香里はそれに呆れた様子で突っ込みを返す。 しかし、その表情は穏やかなものだった。 「それもそうだね」 「私の家に来たくらいで浮かれないでよね」 香里は微笑みながら名雪を茶化すと、ポケットから取り出した鍵でドアを開け、扉を開けた。 「さぁ、どうぞ」 「お邪魔します」 香里に促され、名雪は誰もいない家の中に向かってそう呟くと、靴を脱ぎ奥へと入って行く。 「今、お茶入れるから、先に私の部屋で待ってて」 「うん。わかった」 階段の前で香里と別れると名雪は2階にある香里の部屋へ向かう。 そして、彼女の部屋のドアを開けるとゆっくりと中に歩を進める。 以前来た時より若干、小物等が増えていたが、その他は何も変わっていないようで 名雪はどことなく安心感を覚えた。 思わず、その頃の気持ちに戻れそうな気がした。 「お待たせ」 しばらくすると、香里が姿を見せる。 トレイにコーヒーと帰り際に買った菓子を載せて。 そして、二人は腰を降ろすと世間話をはじめた。 進路のことから、百花屋の新メニューのことまで止めど無く話を続ける。 しかし、名雪がコーヒーを2回ほどお代わりした頃だった、会話が途切れた時を見逃さず、 香里が唐突に話を切り出した。 「そういえば…相沢君に言いたいことがあったんでしょ?」 「…えっ…べ、別になにもないよ」 「誤魔化してもダメよ。あなたはすぐ顔に出るからね」 全てを知っている…。そんな香里の顔。 「…そっか…やっぱり香里は騙せないね」 そう呟き、ティーカップを置くと、名雪は微笑んだ。 「…わたしね…淋しいんだよ…。祐一が目の前にいるのに、いないって事が…」 「…それって…」 「今の祐一にはわたしは見えてないんだよ…。見えてるのはあゆちゃんだけ…」 名雪は独り言でも呟くように話し続ける。 「もちろん…あゆちゃんいい子だし…私がどう足掻いたって、今の状況は変えられない と思う…。でも……でも…あの時の事…思い出してくれないのが…一番辛いの…」 名雪の顔が崩れて行くのがはっきりとわかった。 やがて、瞳からは涙が滲みはじめる。 「…傍にいてくれれば…ううん…私のことが目に入ってさえいてくれれば…もしかしたら 思い出してくれることだってあるかもしれないのに……」 名雪の頬から一粒の雫が落ちた。 「このままじゃ…わたしそのものが…忘れられちゃう…」 まるで叩き付けるように香里に言葉をぶつけると、名雪は力尽きたように俯く。 そして、しくしくと泣きはじめた。 「………」 香里は言葉に詰まる。 マイペースで控えめな普段の名雪からは想像も出来ない姿だった。 しかし、香里は困惑することはなかった。 俯く名雪の傍に近寄ると、両手を名雪の背中に回し、自らの方へ引き寄せる。 名雪の顔が胸に当たった。 「…か…おり…?」 不思議そうな声で名雪は呟く。 「泣きたいだけ泣いた方がいいわよ…ストレスは体に毒だからね。でも…よければ、もっと 詳しく話をしてもらえないかしら?今のままじゃ、私は名雪の気持ちを共有出来ないから…」 香里はいつも通りの口調で問い掛ける。 しかし、名雪を抱く手には優しさと温かみが篭っていた。 「…うん…」 素直に頷く名雪。 彼女は奇妙な感覚に陥っていた。 揺り篭に揺られるような心地よい感覚。 そして、同性に抱かれているのに、まるで男性にでも抱かれたように胸の鼓動は高鳴っていた。 「…香里…」 やがて、名雪は堰を切ったように話はじめる。 8年ほど前の冬の出来事を。 香里は名雪を包み込みながら、その話に耳を傾ける。 そして、全てを聞き終えると優しく名雪の髪を撫でた。 名雪はいつの間にか泣き止んでおり、その香里の行為をただ気持ち良さそうに受け入れている。 「…ありがとうね…名雪…。あなた…ホントに強い子だわ…」 「…お礼を言うのはわたしの方だよ…香里のおかげで少しだけ気が晴れたから…」 「友達として当然の事をしただけよ…」 素直に言葉を交わすと、二人は笑顔で見つめあった。 「…お返し…しなきゃ…ね」 「…え?」 そして、しばらくして香里はそう呟くと、ゆっくりと立ちあがった。 「名雪…ちょっと着いてきて」 香里はそう言うと、部屋を出て廊下を渡ると、向かい側にあったドアの前に立つ。 「………?」 名雪は香里の意図がわからなかった。 「…妹の部屋よ…」 香里の一言に、名雪ははっとする。 そういえば、以前、妹がいると言う話を聞いたことがあった。 だが、一度もその顔は見たことがない。 「そうだよね、香里、妹さんがいるんだったよね…でも、それがどうかしたの?」 「正確には、いた…ね。栞は今年の初めに死んだから…」 「………」 全く口調の変わらない香里に、名雪は一瞬、その重大な真実を聞き逃してしまうところだったが。 それを理解しても、かける言葉は見つからなかった。 しかし、香里はそんな名雪を気にも留めず、その部屋のドアを開ける。 その中は、全く手を加えられていないのか、今でも誰かが住んでいるような雰囲気だった。 本棚に並んだコミックや文庫本、机の上に広げられたスケッチブックやノート。 そして、明るい色のクッションや枕カバー。 香里の部屋と違いどこか明るい印象を受ける。 ただ、机の上のスケッチブックはすっかり日焼けして色が変わっており、やはり、この部屋は 主を失っていると言うことを物語っていた。 香里は部屋の中央に進むと、ゆっくりと部屋を見渡す。 「…香里……」 「気にすることはないわよ。名雪が悲しんだからと言って、何かが変わるわけじゃないから…。 それに、私はもう気にしていないから」 香里は他人事のように言った。 「でもぉ…」 名雪は心配そうに香里を見る。 「…これがお返しよ…。私は栞から目を背けていた…いえ、存在自体を否定していたのよ…」 香里も名雪の知らない真実を語りはじめる。 病気のこと、二人のすれ違い、そして、別れ。 名雪にも香里の苦悩が痛いほどわかった。 「…香里に比べたら…私の悩みなんて小さいものだね……だって…私がもし同じ立場だったら… 香里のように振舞える自信なんてないよ…」 「何言ってるの?名雪は悲しみに8年も耐えてるじゃないの…。しかも、決してそれを表に出す事 なく…」 香里は優しく微笑む。 「…ありがとう…」 名雪はその言葉と優しい眼差しが嬉しかった。 そして、全てを分ち合った二人はいつまでも頷きあい続けた。 「…綺麗な部屋だよね」 やがて、名雪も栞の住んでいた部屋を見渡しはじめる。 大切な友人の妹の部屋を目に焼きつけておきたいと思ったから。 「あっ…」 そうしているうちに、名雪はベッドの脇に並んでいた薬の瓶に目を留めた。 「…これ、何の薬かな?」 透明な瓶に入った白い錠剤や青と黄色のカプセル、そしてピンクの粉薬。 別に成分に興味があったわけではなかった。その色合いや形に興味をもっただけだった。 しかし、その言葉は香里に意外な反応を与える。 「………」 香里は呆然とその薬の瓶を見ていた。 「…香里?」 名雪は香里の顔を除き込む。 しかし、名雪の顔すら視線に入ってはいなかった。 そして、その体は微かに震えている。 「…か、香里っ!?」 名雪は驚き、声を上げた。 「あ……さぁ…私にもわからないわ…」 香里は、名雪の叫びに我に返ると、心ここにあらずと言う感じで答える。 彼女はやはり強がっているに過ぎなかったのだ。 この部屋に入り、想い出に囲まれ、確実に過去の苦悩が香里を蝕んでいる。 「…もう…戻ろうよ…」 名雪はすぐにそれを察し、香里の腕を掴む。 だが、香里は自らを落ち着かせながらそれを拒否すると、妹のベッドに腰を下ろした。 「…ごめんなさい…まだまだ私もダメね…」 香里は腕を組み、必死に笑顔を作りながら名雪を見た。 だが、その笑顔はひどく痛々しい。 「…そんなこと…ないよ…」 名雪は首を振る。 他にも何か声をかけたかったが、口を開くだけで、言葉が言葉にならなかった。。 「えっと…その薬だったわね…それは…鎮痛剤に解熱剤…それと咳止めと胃薬ね…そっちの瓶に 入ってるのは睡眠薬だわ…」 香里は改めて気を取り直すと、先ほどの名雪の疑問に丁寧に回答していく。 「…すごいね、香里…」 「……凄くないわよ……」 驚く名雪に、香里は呆れたような顔で答えたが、すぐに表情が変わった。 「……あの子が…自分で飲めない時は…私が飲ませてあげなきゃいけない…って思ったから… 覚えただけよ…」 そして、俯きながらそう答える。 瞳にはうっすらと涙が滲んでいた。 「…香里…」 「…でも…そんな機会を私は自ら放棄したのよ……救いようがないわね…」 香里は、再び半ば自嘲気味に捲くし立てる。 「…香里は悪くないよ…」 名雪は必死に香里をなだめようと手を伸ばした。 「…気休めはやめて…」 すっかり、自らを蔑んでいた香里はその手をはねのけようとする。 「そんなことないよっ」 それでも、名雪は諦めなかった。 「…あ」 だが、ふとした拍子でバランスを崩すと、香里を押し倒すように名雪はベッドに崩れ落ちる。 お互いの制服の裾が捲れあがり太腿が絡み合った。 今は亡き少女の使っていたベッドで折り重なる二人。 鼓動と息遣いだけがお互いの体に響く。 「…香里…もう…やめようよ…」 名雪は悲しそうな顔で香里を見る。 だが、それ以外に別の感情が沸きあがってきていた。 先ほど、香里の部屋で彼女に抱かれて感じた気分に似ている。 心地よく、切ない感覚。 香里を掴む手に自然と力が入った。 「…そうね…そうする…。あなたの悲しむ顔を見るのはもっと辛いからね…」 だが、香里はそんな名雪の思いに気づく由もなく、落ち着いた表情を取り戻すと、 優しく声をかけた。 「良かった…」 名雪は嬉しそうに笑うと、さらに香里に体を寄せる。 二人の体は食い込むほどに密着していた。 「…でもね、名雪?」 「え…?」 「いい加減、どいてくれないかしら?」 「あ…ゴメン…」 その一言に名雪は頬を赤らめ香里から離れると、ベッドから身を起こした。 香里もゆっくりと起きあがると、制服を正す。 名雪は気まずさに耐えられず、香里から目を背け、窓から見える空に目を向けた。 しかし、香里の吐息や感触に彼女の体は何とも言えない感覚に陥っている。 自らの鼓動が早くなっているのも感じとれた。 「………」 香里はそんな名雪を見て、思わず笑みが零れる。 だが、その表情を一旦隠すと、真っ直ぐな目で名雪を見た。 「…ごめんなさいね…」 「えっ?」 その声に名雪は振り返る。 目と目が合うと、香里はさらに続けた。 「嘘ついた形になってしまったからね…。とっくに割り切ったと思ったんだけど…名雪の前だと 私も誤魔化せないわね」 香里は完全に落ち着きを取り戻した様子で恥ずかしそうに微笑む。 「香里…」 名雪もそんな香里を見て嬉しかった。 だが、その直後、香里は先ほど隠した意味深な表所を浮かべると意外な台詞を口にした。 「…キスしようか?」 「……え?」 名雪はその言葉に思わず耳を疑った。 そして、目を丸くしてまじまじと香里を見る。 「嫌かしら?」 しかし、香里は多くを語らず、ただ名雪の返答のみを求めた。 「……うぅ…」 名雪は言葉に詰まる。 だが、その胸のうちは、未知への行為に興味深々だった。 「………したい…かも」 そして、その興味を抑える事なく、名雪は恥ずかしそうに香里を見た。 「いいよ」 香里はそう言うと、体を寄せる。 再び二人の体が密着した。 今度は必然的に。 「…香里…」 名雪は目の前に迫った香里の顔に瞳を潤ませると、ゆっくりと目を閉じ、自らの唇を寄せた。 その顔は熱でもあるかのように赤い。 、やがて、乾いた二人の唇が重なった。 そして、優しく絡み合うと、お互いの唾液でしっとりと濡れていく。 …ちゅぷっ…ちゅく… 他の音は何も聞こえなかった。 そうして、もう誰も使うことのないベッドの上で、二人はお互いの感触を確かめ合いながら、 いつまでも唇を重ね続けた。 いつの間にか、部屋は茜色に覆われていた。 二人は余韻を噛み締めるように。じっとベッドに腰を降ろしている。 名雪はじっと夕焼けに晒され、赤く染まった薬の瓶を眺めていた。 そして、独り言のように香里に問い掛ける。 「この薬…貰えないかな?」 名雪が手にした瓶は睡眠薬の瓶だった。 丸い錠剤がたくさん詰まっている。 「…どうするつもり?」 香里は名雪の言葉に少し表情が固くなる。 「別に何もしないよ。ただ、綺麗だから」 しかし、名雪の答えは素朴なものだった。 「あなたらしいわね」 体の力が抜けたように香里は笑う。 「いいわよ。名雪が綺麗だと思うのならね。…使う人間がいなければ、薬としての価値は もうないしね」 香里はそう言うと、両手を上げる。 しかし、その表情は晴れやかなものだった。 こうして、香里の家での長く短い時間は終りを迎える。 「じゃあ、また明日」 「うん。今日はありがとう」 名雪は薬の瓶を大事そうに抱えると、香里の家を後にした。 北風にさらされながら、家路を急ぐ。 しかし、いつもは身に染みる寒さも、今日は気にならなかった。 少しだけ強くなれた気がした。 家に帰り、予想外の言葉を耳にするまでは。 「…え…今…何て言ったの…」 名雪は何が起きたか理解できない表情で呟く。 「あぁ…だから…俺は今月いっぱいでこの家を出ることにしたよ」 言葉の主は祐一だった。 久しぶりに夕食の席に現われた祐一は、食後、名雪と秋子に自らの今後について話はじめたのだ。 「でも…今月いっぱいって…あと3日しかありませんけど?」 秋子も少し驚いた様子で祐一に問いかける。 「ええ…でも、あゆが今住んでる家に行く事にしましたので、準備とかはいらないですから。 あいつ一人じゃ、何かと物騒ですしね…。もちろん、俺もバイトして最低限は家計の足しに したいと思ってますし」 祐一は言葉を選びながらも、熱っぽく語った。 「あゆちゃんをうちに呼ぶって事はできないのかしら?…それに祐一さんのお母さんは承諾して くれたのですか?」 秋子はそれでも食い下がった。 だが、祐一は首を横に振る。 「これ以上、秋子さんや名雪に迷惑はかけたくないですから…。母親の方もこの間、電話して 了解貰ってますので」 「…祐一…」 名雪はただ、彼の名前を呟く事しか出来ない。 「……そうですか…仕方ありませんね…」 秋子も止む無しと言う感じで、祐一の主張を認めるしかなかった。 そして、祐一は安堵の表情を浮かべると部屋を出る。 その間、名雪は無言で俯くだけだった。 「………」 名雪は悲しかった。 (…結局…もう…思い出してくれる事はないんだね…) 湯船に浸かりながらその事ばかりを考えている。 (…祐一…) 香里に全てを話し、吹っ切れたと思っていたが、祐一が自らの前から離れて行くという 現実を突きつけられ、名雪はそれは錯覚だったことを痛感した。 しかし、どうする事も出来なかった。 そして、3日後、祐一は水瀬家を出る。 「元気でね…祐一」 「ああ。っても学校じゃ毎日、顔合わせるだろ?」 「うん…そうだね」 玄関で静かに会話を交わす二人。 しかし、その言葉はどこか冷めていた。 「それじゃあな」 「…うん。ばいばい」 そして、名雪は笑顔を作ると祐一を見送る。 祐一も片手を上げ微笑むと、背を向けると家を出た。 「…行っちゃった…」 誰もいなくなった玄関でそう呟く名雪。 そして、ゆっくりと2階へ上がると、祐一がいた部屋に向かう。 既に何一つ部屋の中にはない。 名雪はそのがらんとした部屋に入り、床に座った。 タンスや机の形に日に焼けた壁紙が名雪の心を締めつける。 夕食も淋しかった。 もちろん、ここ数ヶ月、祐一とは一緒に食事をすることなどほとんどなかったが いつも置かれていた茶碗や箸が無くなっているだけでも、彼がもうこの家にはいない と言うことを思い知ることが出来た。 そして、その夜、名雪はなかなか寝けなかった。 ベッドの中で天井を見つめながら、ただただ泣いている。 涙を抑えようとしても、一向におさまることはなかった。 既に数時間が経過している。 どこか期待していたのかも知れない。 もしかしたら、祐一が降り返ってくれるのではないかと。 だが、そんなことはなかった。 しかも、そのチャンスすら、もう訪れはしないのだ。 「…眠れないよ…」 名雪は涙で頬をベチャベチャに濡らしながら、ベットから置きあがると、机に置いてあった 小さな瓶に手を伸ばした。 それは、香里から置物として貰った薬。 彼女の説明だと、睡眠薬の筈だった。 「…これ飲めば寝れるかな…」 名雪はそのもの本来の用途を蘇らせるべく、瓶を下に傾け、手の平に錠剤を一粒乗せる。 その粒は、月明かりに青白く輝いていた。 「…でも…寝れないと嫌だな…」 再び瓶を振り、錠剤を落として行く。 名雪はその行為を何度も繰り返した。 呪文のように「寝れるかな…」と呟きながら、薬を手に溜めていく。 いつしか、瓶に入っていた全ての粒が名雪の掌に収まった。 その数は20粒近い。 しかし、名雪はそんな事を全く気にすることも無く、水すら飲まずに、その薬を口に放り込む。 そして、何度も何度も唾液と一緒に嚥下した。 「…これで…寝れるよね…」 名雪はよろけるように振り返ると、そのまま倒れるようにベッドに潜り込んだ。 「…おやすみ…なさい…」 独り言のように、そう呟きながら。 その日の深夜、水瀬家に一台の救急車が止まった。 運ばれていたのは名雪だった。 秋子もそれに付き添いながら、厳しい表情で車に乗り込む。 そして、サイレンを発しながら救急車は水瀬家を後にした。 ………悲しかったでしょうね…。 「………ぅ…ぅん…」 名雪は目を覚ました。 映った目の先には見知らぬ光景が広がる。 どうやら、病院の一室のようだった。 アルコールなどの薬品の交じり合った独特の匂いが鼻をつく。 「…どうしちゃったのかな…わたし…?」 名雪は状況が掴めていなかった。 そして、ゆっくりと頭の中で記憶を整理する。 「…そう…いっぱい薬飲んだんだっけ…」 「…でも…生きてたんだ…」 死ねない悲しみと生きていた喜び。 複雑な感情が名雪を取り巻いた。 「…今日は何日だろう…?」 部屋には誰もいない。 手がかりになるであろうものは、何一つまわりには無かった。 「誰かいないのかな…」 名雪はベッドから置きあがろうとする。 しかし、その時だった。 今まで体験したことのない違和感が下半身を襲う。 「…えっ…な…なに……?」 名雪は恐る恐る布団をよけた。 「…ひぃ!?」 名雪は思わず悲鳴を上げる。 なんと、自らの股間から棒のようなものがパジャマのズボンを押し上げていたのだった。 しかも、その感覚はしっかりと体や頭に伝わってくる。 「…ど…どうしたんだろ…」 名雪はまるで他人のズボンに手をかけるように、自らのズボンを下ろしてみた。 「…きゃぁ!!」 その中にあるものを見て名雪は顔を背けた。 それは、紛れも無く男根であった。 名雪の肌の色とは似ても似つかぬほど黒光りしているそれは、パンティを押しのけ、 青筋を立てながらはちきれんばかりに勃起している。 しかも、名雪の臍を完全に隠してしまうほどの長さを誇り、真っ赤に充血している亀頭の 先端からはとろとろと粘液が滴っていた。 「…こ…これって…」 名雪は再び自らの股間のものに目を向けると、困惑しながら呟いた。 「…でも…この感じ…」 だが、そうしているうちに、別の感覚が名雪を襲う。 勃起した男根は彼女に自慰を求めていた。 頭の中でも、その部分に手をあてがう事を求めている。 「………」 名雪は半ば無意識に、男根を握った。 かろうじて握れるか握れないかと言うほど、太い物体だった。 しかも、握った瞬間に淫靡とも言える刺激が能に伝わる。 「…う…そっ……」 名雪はその感覚に戸惑いながら、恐る恐る手をスライドさせてみた。 案の定、更なる快感が襲いはじめる。 「…くぅぅ……はぁ…はぁ…」 そして、いつしか名雪は、両方の手で男根を扱いていた。 流れ出る粘液が指に絡み付き、ぐちゃぐちゃと汚らしい音を立てていたが、今の彼女には それさえも気持ちを昂ぶらせる要因でしかない。 「…どうして…どうして…」 かろうじて残っている理性が疑問となって口をついたが、体はその快楽を追い求める事で 手いっぱいだった。 次第に指の動きが速さを増す。 そして、それに比例して息遣いも荒くなりはじめた。 「…あぁ…ん…はぁ…ぁ…ん……うぅ…なんか来るぅ……ぅ…!」 未知の衝撃に身も蓋も無く叫びながら、名雪は腰を突き出しブリッジをするような形で 男根を扱いている。 そして、とうとう限界を迎えたそれは、生々しく躍動すると、その先から白く濁った液体を 飛ばしはじめた。 生暖かい液体が名雪の太腿や腹に降り注ぐ。 顔にまで飛んできた汁もあった。 「…はぁぁ…ぁぁ…ぁ…ん…」 名雪はマラソンを走りきりゴールしたランナーのように、疲れ切りベッドに沈むように身を 投げ出した。 しかし、大量の精液を放出した男根は未だ激しく脈打ったまま、一向に収まる様子は無かった。 その先端をベッドにめり込ませながら、更なる愛撫を要求している。 「…うぅ…どうしちゃったの…わたし…??…でも…我慢…できないよぉ…」 すっかり味を覚えてしまい、名雪は歯止めが効かなかった。 今度はベットに仰向けになると、男根を布団と自らの腹で挟むように押し付けはじめる。 そして、左手で両方の乳房を揉み砕くようにしながら動きはじめた。 「…あぁ…ん…き…気持ちいい…よぉ…」 激しく体を震わせ、名雪は声を絞り出した。 鉄製のベッドが振動でぎしぎしと揺れる。 リノリウムの地面まで揺れそうなほど激しい動きだった。 「…………くぅぅ…」 そして、名雪は声にならない声を上げると果てた。 二度目とは思えない量の白濁液が彼女の腹を汚す。 すっかり揉み砕かれた乳房の間にまで、粘液は流れ込んだ。 しかし、名雪はその汁を手で掬うと、自らの乳房に擦り込みはじめる。 「…うぅ…あったかい…」 焦点の合わない目でそう呟きながら。 次へ |
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