…失敗しちゃいましたね…
…だけど…もう止められませんよ…
…残された日は…もうないんですから…
…だから…もう一人だけ…
…お願いします…
栞は姉の部屋に来ていた。
そこには祐一もおり、無言のまま顔を突き合わせている。
ただ張り詰めた空気だけが流れていた。
「…もう…止めましょう…」
だが、その静寂を打ち破ったのは香里だった。
膝に手を当て、俯いたまま口を開く。
「…そうだな…俺たち…どうかしてたんだよ…」
続いて祐一も口を開いた。
二人とも今にも倒れ込んでしまいそうな悲痛の表情を浮かべている。
しかし、それでも栞は口を開かなかった。
時折、外の景色に目をやりながらも、姉と祐一の顔を交互に見やる。
少しだけ厳しい表情をしていた。
「…ねぇ…栞…もういいわよね…」
再び香里が栞に向かって問い掛ける。
すると、彼女は祐一に向かい言った。
「ねぇ祐一さん?あの後どうなったんですか?」
「………………」
彼は上手く言えないのか、ただ思い出すように口をモゴモゴとさせている。
「祐一さんがここにいるって事は…犯人扱いはされてないって事ですよね?」
「それとも、逃げてるんですか?」
だが、栞はさらに祐一を問いつめる。
「…会ってくれないんだ…」
祐一は俯いたまま呟いた。
「あれは…俺と美坂が…下にいる時に起きた…って秋子さんには言った…、秋子さんは信じてくれたよ…
でも…今日…見舞いに行ったら…」
「見舞いに行ったら?」
「名雪…俺の顔を見た途端…暴れ出したんだ…、何度…会おうとしても…俺は受け入れてもらえなかった…」
彼は半べそを掻きながらも、全てを打ち明ける。
今にも壊れてしまいそうな表情だった。
「そうですか…」
栞はそう言うと、再び思いを巡らす。
…もう…お姉ちゃんも祐一さんも役に立ちそうもないですね
…最後は…私がやるしか…ないかな…
…あの人は…お姉ちゃんと関わりはないけど…
…私と関わりのある…数少ない人だし…
…いっぱい…私の存在を…覚えていてもらわないと…
再び不気味なほどに部屋は静まりかえった。
だが、しばらくの後、今度は栞がその静寂を打ち破る。
「…あと一人ですよ」
「…え?」
「もう一人で…終わりですから…」
栞は笑顔で二人に言った。
「もう一人って…だ、誰なんだ…」
祐一は不安そうな顔で彼女を見る。
香里も黙ったまま、それを見ていた。
「あゆさん…ですよ」
「………栞…、もう…止めよう…」
祐一が倒れ込むように顔を伏せると必死に呟く。
そのまま意識でも失いかねない弱々しさだった。
だが、栞はその仕草に、むしろ腹が立つ。
「…いい気なもんですね、祐一さん」
「し、栞…?」
「名雪さんがああならなかったら、そんな事は言わなかったんじゃないですか?」
「それに、名雪さんの件だって実行犯は祐一さんですよ?それを嘘ついて逃げ出してるじゃないですか」
「…やめてくれ…栞…」
「やめませんよ…私は。でも、今度は私がやりますから、二人は見ててくれればいいです」
栞は立ち上がった。
その表情と口調は至って穏やかである。
だが、内心は無様な祐一に唾でも吐きかけてやりたい気分だった。
…私は…これが最後なのよ…
…だから…黙って着いてきて…
栞はそう叫んでしまいそうになるのを抑えながら、必死に平静を装う。
「…さぁ、行きましょう…」
「……………」
二人は押し黙ったままだったが、ゆっくりと立ち上がった。
そして、部屋を出る栞の後に無言のまま付き従っていく。
…もう…誰にも止められないの…
…あゆさんにも…私を忘れないでもらうまでは…
栞はただそう思いながら外に出た。
辺りは少しだけ暗くなっている。
そんな中、三人は商店街の方へと歩きはじめた。
商店街は休日という事もあり、かなりの賑わいを見せていた。
幸せそうな顔で歩いている家族連れやカップルたち。
「………………」
栞はそれを見るだけで胸が締まる思いだった。
しかし、その感情をむりやり押し殺すと、彼女は一人の少女を探しはじめる。
もちろん、居場所に心当たりはなかった。
彼女とは祐一と初めて出会った日にたまたま出会っただけである。
…時間がない…の…
「…お姉ちゃん…祐一さん…手分けして探しましょう」
栞は優しく声をかけた。
二人はただ悲しげな顔で頷く。
…あゆさん…今、見つけてあげますからね
こうして、探索という名の狩猟がはじまった。
空は次第に薄暗くなっていく。
栞はあちこちを見て回ったが、あゆの姿を見つける事は出来なかった。
…はぁ…はぁ…思ったより…辛いな…
彼女は時折、電柱や建物の壁に寄りかかりながらも、視線だけは人の流れを捉えている。
微熱が体を蝕んでおり、今にも倒れてしまいそうだったのだ。
それでも栞は必死にそれに耐えている。
…早く…見つけないと…
「…あ…?」
そんな矢先、栞は見覚えのあるリュックが動いているのを見つける。
純白の羽がついた黒いリュック。
彼女はそれを逃すまいとその動きに目を合わせた。
…見つけた…
栞はゆっくりとその元へと近寄っていく。
そして、それが間違いなくあゆだという事を確認した。
…今…行きますよ…
…あ……?
だが、彼女があゆに近寄ると、既にその先には先客がいた。
それは祐一に他ならない。
そして、二人はただ向かい合ったまま、じっとお互いを見ている。
…何をしてるの…祐一さん…?
栞は二人に気づかれないように、そっと距離を詰めた。
ようやく、すぐ近くまで辿り着くと、気取られないように物陰に潜むと二人を伺う。
未だ祐一もあゆも無言のままだった。
しかし、程なくあゆは静かに口を開く。
「……あのね…」
「…ボク…いまこの街で…捜し物をしてるって言ったよね…」
その言葉の意味を栞は理解出来なかった。
だが、彼女はそれが別れの言葉であるような気がしてならない。
…あゆさん…ここからいなくなっちゃうの…?
栞の胸を複雑な思いが過ぎる。
だが、だからといってそのまま見逃してやる気はなかった。
「…もう…祐一くんとは会えないと思うよ」
そして、それを裏付けるようにあゆは静かに祐一に告げる。
彼はただ無言のまま、その言葉を受け止めていた。
しかし…
「…あゆ…逃げてくれ…」
ようやく口を開いた祐一から発せられたのは裏切りの言葉だった。
「…祐一くん…?言ってる意味がわからないよ」
あゆは悲しげな表情の中に戸惑いを浮かべながら、じっと彼を見ている。
「…このままここにいたら…お前の身が危ういんだっ…」
祐一のトーンが次第に高まっていく。
同時に、この場面を見られていないかを確認するように、あたりを見回していた。
…あらあら…
…まだまだ調教が足りなかったみたいですね
…もっとも…これ以上祐一さんに費やす時間は残ってないですけど…
栞はそんな事を思いながら、そっと二人の元へと歩きはじめる。
「祐一さん…あゆさん、こんにちは」
そして、何食わぬ顔で彼女は向かい合っていた二人に声をかけた。
「…し、栞…」
予想外の事態に祐一の顔が青ざめていくのがわかる。
「…あ、栞ちゃん、こんにちは」
だが、あゆは先ほどの表情を崩すと、満面の笑みを栞に向けた。
何も知らない無垢の笑顔だった。
「何をお話していたんですか?」
栞はそれを受け止めながらも、祐一にそう問い掛ける。
むろん、それは嫌がらせに他ならなかった。
「…あ…えぇ…っと…」
彼は目を白黒させながら、必死に言い訳を模索している。
しかし、とても栞を満足させる回答は浮かんでこなかった。
もっとも、彼女は一部始終を知っているので、何を言っても自らの首を絞めるだけだったが。
「あ、ボクの話を聞いてもらってたんだよ」
すると、それを見かねた訳ではないだろうが、あゆがそうフォローを入れた。
「そしたら祐一くん、逃げろだなんておかしな事言うんだよ」
「あら、そうだったんですか」
栞は意外そうな声を口にする。
あたかも先ほどのやり取りを全く知らなかったように。
その態度に、祐一は完全に肝を冷やしていた。
…これで…祐一さんは何も言えないですね
彼の反応を見極めると、栞は本題に入るべく口を開く。
「そうだあゆさん、これから私の家に来ませんか?」
「え…でも、ボク…これから…」
「この間のお礼に、お茶でもご馳走したいと思ったんですが…ダメですか?」
そう言いながら少し悲しそうな顔を浮かべる栞。
まさに迫真の演技だった。
「…う〜ん、ちょっとだけならいいよ」
それにあゆは見事に引っかかる。
「よかった。では、案内しますね」
栞は自らの家の方向へ手を伸ばした。
そして、さり気なく祐一の耳元に囁きかける。
(…祐一さん、すぐにお姉ちゃんを探してうちに戻ってきて下さいね)
(…わ…わかった)
祐一はただ頷くしかなかった。
もう彼にはあゆを助ける勇気は消え失せている。
そして、買い物をしてから行くと言い残し、祐一は人混みの中へと消えていった。
二人はそれを見送ると、ゆっくりと目的の場所へと向かっていく。
その先に何が待っているか…あゆだけが知らなかった。
既に辺りは薄闇に包まれ、静かに雪が舞いはじめている。
まるで栞の心を映し出しているかのように。
つづく